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【2024/04/18 12:17 】 |
殺害に至る病
先日おきたアメリカのバージニア工科大学で韓国人学生が銃を乱射し、32人を射殺した事件はご存知だとおもう。この事件を見て、昨年産経新聞のコラムで読んだ、岡田尊司著『脳内汚染』の論評記事を思い出した。

子供たちの間に広がるゲームが、脳を作り替えてしまうという恐ろしい弊害をもっているというのだ。

まず、多くのゲームはクリアする過程で敵を殺していく。その過程で敵を殺すことにたいして躊躇せず、反射的に引き金を引く訓練をしていることになる。

人間は本来、相手がたとえ敵であっても、銃の引き金を引くのには躊躇する。それは戦争などの場合にも同じで、実際に引き金を引くのは2割ぐらいだそうです。しかしイギリス軍は射撃訓練で、人の形をした標的を使い訓練した。結果、兵士の9割が実戦で引き金を引いたそうな。

今、子供たちが夢中になっているゲームは、この軍隊で使っている最新式の射撃訓練と同じ水準の訓練であり、こうした訓練により、殺人や暴力に対して人間が本来もっているタブーを解除し、脳の行動プログラムを変え、安全装置をはずす役割をしているのだという。

実際、最近アメリカで頻発している銃撃・大量殺人事件などでは、犯人は躊躇も容赦もなく機械的に相手の頭を狙い撃っているそうです。

同じような悲惨な事件が繰り返される。日本は銃社会ではないから、大量殺人まではなかなか発展しないだけで、最近の悲惨な事件の数々は決して尋常なものではない。

ゲームは、叡智の限りを尽くしてリアリティを増し、進化を続ける。
それを楽しむ子供たちはもちろんだが、開発する側にも同じく、しっかりとした道徳心や倫理観を持たなければならない。

一日も早く、日本の教育がよみがえる事を望みます。

脳内汚染
岡田 尊司
4163678409
子どもの「心の病」を知る
岡田 尊司
4569643248



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【2007/04/23 02:23 】 | 教育を思う | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
家族への愛情
子供を育てること。老いた親のめんどうを見ること。これらは本来、愛情によって行われるべきことであり、それが理想だ。しかし、その環境や関わりの中で、どうしても家族や近しい関係の間で愛情を抱けなくなってしまう場合もある。そういった場合に、愛情の代わりを果すのが本来なら「義理」である。

義理とは「正義の道理」であるから、自らの正義の道理に従って行動する以上に最もな理由は無い。しかしこの正義の道理の基準というのが、自分のモノサシというか、価値観に由来するため、現在のひ弱な教育環境で失われた倫理観や道徳心の上では、義理を果そうとしても表面的な茶番めいたものになってしまうのはわからなくもない。

今の時代、と言っても本当にここ数十年の短い時間だが、情報が溢れていてそれをせき止める事が出来ない。つまり、こうしてインターネットやメディアの情報を簡単に入手できたしまうので、子供に見せたくないもの、聞かせたくない話を伏せておく事、「これは大人の話」「子供は寝る時間」「大きくなったらわかるよ」などと言う言葉が実質無効になってしまう。

そうすると、子供たちにとって世の中に裏も表もなくなり、ただ単に現実というものを客観的に見つめる状況になってしまう。

ただしこの客観的な目は、経験の浅い子供たちにとって、おおいに主観性を含んだものである場合が多いとおもう。情報というのは主に、自分が求める情報しか手に入らないものであるのは、インターネットを考えればよくわかると思う。

つまり彼らが、自分に都合のいい情報だけを集めて武装し、理屈を立てて大人に刃向かってくるという今の状況を作り出しているが、問題なのは子供が理屈を立てる事ではなく、その理屈が倫理観や道徳性を欠いた、屁理屈になりさがっている場合が多いことであり、それに対して大人側がスジの通った意見で論破できないことである。

はい、話がだいぶ曲がってきました。f(^_^;
本来ならここで解決策の提案をもって締めくくりたいところですが、僕自身試行錯誤しながら育児中の身。いずれもう少し考えを纏められればと思います。







いま魂の教育
石原 慎太郎
433497225X

生きるという航海
石原 慎太郎
4344406753


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【2007/04/18 01:06 】 | 父として。 | 有り難いご意見(4) | トラックバック()
さくら散る。
僕のうちの前は少し広い通りで、歩道があり桜の街路樹で桜並木になっている。うちに遊びに来る人はみな、桜が咲いたら綺麗だろうねえ。などと言っている。今のアパートに引っ越してきてちょうど2年。やっとまた、桜の季節になった。

今年の桜は一気に咲き誇り、かぜの強い日曜日にあっという間に散ってしまうかと思ったが、みごとな桜吹雪にも耐えて残った花びらが、今も葉桜の風情を感じさせてくれている。

ここまで散ってしまってはもう、桜を見上げて歩きはしないが、ふと視界の中に翻ってくる花びらが、なんとも名残り惜しい。

僕は今まで、桜の名所といわれる場所や、離れた場所に花見に行ったりしたことはほとんどない。自分から行った事といえば一度も無い。基本的には普段の生活圏内の桜を楽しんで終わってしまうし、それでじゅうぶんだと思っている。

夏には、鮮やかな緑に覆われていた桜。身を固くして裸で冬を越す桜。遠目にも日々つぼみが膨らんでくるのがわかってきた桜。

たとえ一本の桜木でも、一年中、僕の通る道で季節ごとに様々な姿を見せてくれた桜。そのさくらが、今年も見事に咲き誇ってくれた事がうれしい。

散る花に人の命を例える事は多い。特にまだ、綺麗で瑞々しいままの花びらを惜しげもなく散たしてゆく桜の花は、武士道的な潔さや、その淡い控えめな香りはそれだけで理想の日本人像なのだと思う。

自己主張の強い欧米人などが、バラの花を愛するのも、あれが彼らの理想なのかもしれないと思いました。

さらば桜花、また逢おう。(=∇=)ノ~

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【2007/04/13 04:54 】 | 徒然日記 | 有り難いご意見(6) | トラックバック()
幸せと言うこと
不確かなものを信じること。

不確かなものを信頼し、生きること。

その不確かなものが

確かなものになった時の安らぎ。

それが幸せ。

いつかどこかで聞いた言葉です。
たぶんテレビのナレーションだったと思いますが、なんとなく心に残っていました。

幸せの基準というのは人それぞれであって、主観的なものだと思います。例えばこの言葉にしても、女性的な幸せの基準だと感じる。

でも、確かこれは生涯を通して技を身につけたような職人さんの生き方を語ったものだったと思う。

まあそれはそれで、この不確かなものと言うのは男にとって自分の可能性であり、将来の夢なのだと思えば納得はいく。

でもやっぱり僕としては、女性的なイメージ。
例えていえば

“この職人さんがいつか立派な職人になる事を信じてついてきてくれた奥さんの気持ち”

のほうがしっくりと来る。
「幸せ」「信じる」「信頼」そういった言葉は、本来男が使うべき言葉なのだろうか。

そういえば、司馬遼太郎さんの著書「燃えよ剣」の中で、土方歳三が

『どうなる、とは漢(おとこ)の思案ではない。婦女子のいうことだ。おとことは、どうする、ということ以外に思案はないぞ。』

と言っていた。・・う~ん。その通り。シブイ。







燃えよ剣 (上巻)
司馬 遼太郎
410115208X

燃えよ剣 (下巻)
司馬 遼太郎
4101152098


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【2007/04/12 05:31 】 | 徒然日記 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
父親としての役割

いやいや、やっとデザインが落ち着きました。慣れてくると使いやすいですね、ここのブログ。


最近「子供の教育」や「しつけ」、「若者のマナー」や「モラル」などへの関心が高まっているようです。僕自身、娘を一人もつ親として学ばなければいけない事だと思います。そういった事を中心に、日々感じたこと、日本について知ったことや疑問に感じたことを書き連ねて行こうと思っています。


僕が日本の精神や武士道について興味を持つきっかけとなったのは、司馬遼太郎さんの著書を読み出してからです。
司馬さんの文学では、誰が“何をした”かよりも、“どう生きたか”に重点があり、そこには僕自身も理想とする、爽快で朗らかな日本人が描かれています。
そして、その司馬さんが、後世に伝えていくべき日本人の倫理観の要の一つが、「名こそ惜しけれ」だそうです。


自分の名に誇りを持つこと、自分の人生に潔い覚悟を抱くこと。それがこの“名を惜しむ”と言うことであり、潔さも、すがすがしさも、勇気も、自立心も、全てはこの「名こそ惜しけれ」の精神から滴るようにして出てくるものだそうです。


この“名を惜しむ”事については、また改めて書きたいと思います。では、また。

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【2007/04/11 02:35 】 | 父として。 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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