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【2024/05/01 12:33 】 |
家族への愛情
子供を育てること。老いた親のめんどうを見ること。これらは本来、愛情によって行われるべきことであり、それが理想だ。しかし、その環境や関わりの中で、どうしても家族や近しい関係の間で愛情を抱けなくなってしまう場合もある。そういった場合に、愛情の代わりを果すのが本来なら「義理」である。

義理とは「正義の道理」であるから、自らの正義の道理に従って行動する以上に最もな理由は無い。しかしこの正義の道理の基準というのが、自分のモノサシというか、価値観に由来するため、現在のひ弱な教育環境で失われた倫理観や道徳心の上では、義理を果そうとしても表面的な茶番めいたものになってしまうのはわからなくもない。

今の時代、と言っても本当にここ数十年の短い時間だが、情報が溢れていてそれをせき止める事が出来ない。つまり、こうしてインターネットやメディアの情報を簡単に入手できたしまうので、子供に見せたくないもの、聞かせたくない話を伏せておく事、「これは大人の話」「子供は寝る時間」「大きくなったらわかるよ」などと言う言葉が実質無効になってしまう。

そうすると、子供たちにとって世の中に裏も表もなくなり、ただ単に現実というものを客観的に見つめる状況になってしまう。

ただしこの客観的な目は、経験の浅い子供たちにとって、おおいに主観性を含んだものである場合が多いとおもう。情報というのは主に、自分が求める情報しか手に入らないものであるのは、インターネットを考えればよくわかると思う。

つまり彼らが、自分に都合のいい情報だけを集めて武装し、理屈を立てて大人に刃向かってくるという今の状況を作り出しているが、問題なのは子供が理屈を立てる事ではなく、その理屈が倫理観や道徳性を欠いた、屁理屈になりさがっている場合が多いことであり、それに対して大人側がスジの通った意見で論破できないことである。

はい、話がだいぶ曲がってきました。f(^_^;
本来ならここで解決策の提案をもって締めくくりたいところですが、僕自身試行錯誤しながら育児中の身。いずれもう少し考えを纏められればと思います。







いま魂の教育
石原 慎太郎
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生きるという航海
石原 慎太郎
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【2007/04/18 01:06 】 | 父として。 | 有り難いご意見(4) | トラックバック()
父親としての役割

いやいや、やっとデザインが落ち着きました。慣れてくると使いやすいですね、ここのブログ。


最近「子供の教育」や「しつけ」、「若者のマナー」や「モラル」などへの関心が高まっているようです。僕自身、娘を一人もつ親として学ばなければいけない事だと思います。そういった事を中心に、日々感じたこと、日本について知ったことや疑問に感じたことを書き連ねて行こうと思っています。


僕が日本の精神や武士道について興味を持つきっかけとなったのは、司馬遼太郎さんの著書を読み出してからです。
司馬さんの文学では、誰が“何をした”かよりも、“どう生きたか”に重点があり、そこには僕自身も理想とする、爽快で朗らかな日本人が描かれています。
そして、その司馬さんが、後世に伝えていくべき日本人の倫理観の要の一つが、「名こそ惜しけれ」だそうです。


自分の名に誇りを持つこと、自分の人生に潔い覚悟を抱くこと。それがこの“名を惜しむ”と言うことであり、潔さも、すがすがしさも、勇気も、自立心も、全てはこの「名こそ惜しけれ」の精神から滴るようにして出てくるものだそうです。


この“名を惜しむ”事については、また改めて書きたいと思います。では、また。

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【2007/04/11 02:35 】 | 父として。 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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