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子供を育てること。老いた親のめんどうを見ること。これらは本来、愛情によって行われるべきことであり、それが理想だ。しかし、その環境や関わりの中で、どうしても家族や近しい関係の間で愛情を抱けなくなってしまう場合もある。そういった場合に、愛情の代わりを果すのが本来なら「義理」である。
義理とは「正義の道理」であるから、自らの正義の道理に従って行動する以上に最もな理由は無い。しかしこの正義の道理の基準というのが、自分のモノサシというか、価値観に由来するため、現在のひ弱な教育環境で失われた倫理観や道徳心の上では、義理を果そうとしても表面的な茶番めいたものになってしまうのはわからなくもない。 今の時代、と言っても本当にここ数十年の短い時間だが、情報が溢れていてそれをせき止める事が出来ない。つまり、こうしてインターネットやメディアの情報を簡単に入手できたしまうので、子供に見せたくないもの、聞かせたくない話を伏せておく事、「これは大人の話」「子供は寝る時間」「大きくなったらわかるよ」などと言う言葉が実質無効になってしまう。 そうすると、子供たちにとって世の中に裏も表もなくなり、ただ単に現実というものを客観的に見つめる状況になってしまう。 ただしこの客観的な目は、経験の浅い子供たちにとって、おおいに主観性を含んだものである場合が多いとおもう。情報というのは主に、自分が求める情報しか手に入らないものであるのは、インターネットを考えればよくわかると思う。 つまり彼らが、自分に都合のいい情報だけを集めて武装し、理屈を立てて大人に刃向かってくるという今の状況を作り出しているが、問題なのは子供が理屈を立てる事ではなく、その理屈が倫理観や道徳性を欠いた、屁理屈になりさがっている場合が多いことであり、それに対して大人側がスジの通った意見で論破できないことである。 はい、話がだいぶ曲がってきました。f(^_^; 本来ならここで解決策の提案をもって締めくくりたいところですが、僕自身試行錯誤しながら育児中の身。いずれもう少し考えを纏められればと思います。
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先日は訪問ありがとうございました。
情報過多の世の中は、子どもたちも疲れるでしょう。なぜなら、親たちが私も含め情報に振り回されていますからね。 仕事ではいいことも、こと子育てになると、周りの情報が本当に当たっているのかが甚だ疑問だし… ということで、息子が半年~3才過ぎた今まで、育児本を読むことをしていません。なぜなら、息子は決して周りの情報が敷いたレールをその通りに行くとは思えないので… 気にならないといったらウソになりますが、夫婦で我が子への教育方針、ポリシーができるまで、子どもをよく見ながらいきたいなんて思っています。 |
たっくんさん、来ていただいて嬉しいです。
そうそう、育児本なんて無くてもちゃんと子育てはできますよ。人間に限らずどんな生物でもそうですよね。本を読んでる時間があったら少しでも外に出て遊んだほうがいいですよ。子供は理屈じゃなくて、親の行動を見て育つものだと思います。 |
れんたさん、こんにちは。
先日はブログへ遊びにいらしてくださり、ありがとうございました。 道徳心の欠落ということに関して、これから先 この国はどうなっていってしまうんだろうという漠然とした危機感を感じています。 かといって、国の教育政策によるお仕着せの道徳教育にも疑問が残りますし。 が、私は元来「甘ちゃん」で「楽観的」なもので(笑)、 一貫した愛情をもって接することによって乗り越えていーこうっと、と思ったり。 親がふらふらした考えでいたのでは、 決して子供に良い影響があるはずありませんよね。 何が正しいか、それは何故なのか。 きちんと説明できる親でありたいし、説明しようとする姿勢を示せる親でありたいと思います。 |
おお、ジャイ子さん、おこしいただいて嬉しいです。そうですね、本来は子供の(精神的な)教育の大半は親や家族が施すものだと思いますし、ジャイ子さんがいうように“一貫した”価値観をもって育てるのは大切なことだと思います。願わくば、人として最低限必要な部分に関してはみんなが一貫した価値観を持てるような教育を、国には期待したいです。
【2007/04/23 03:05】| | れんた #984d224497 [ 編集 ]
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