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僕のうちの前は少し広い通りで、歩道があり桜の街路樹で桜並木になっている。うちに遊びに来る人はみな、桜が咲いたら綺麗だろうねえ。などと言っている。今のアパートに引っ越してきてちょうど2年。やっとまた、桜の季節になった。
今年の桜は一気に咲き誇り、かぜの強い日曜日にあっという間に散ってしまうかと思ったが、みごとな桜吹雪にも耐えて残った花びらが、今も葉桜の風情を感じさせてくれている。 ここまで散ってしまってはもう、桜を見上げて歩きはしないが、ふと視界の中に翻ってくる花びらが、なんとも名残り惜しい。 僕は今まで、桜の名所といわれる場所や、離れた場所に花見に行ったりしたことはほとんどない。自分から行った事といえば一度も無い。基本的には普段の生活圏内の桜を楽しんで終わってしまうし、それでじゅうぶんだと思っている。 夏には、鮮やかな緑に覆われていた桜。身を固くして裸で冬を越す桜。遠目にも日々つぼみが膨らんでくるのがわかってきた桜。 たとえ一本の桜木でも、一年中、僕の通る道で季節ごとに様々な姿を見せてくれた桜。そのさくらが、今年も見事に咲き誇ってくれた事がうれしい。 散る花に人の命を例える事は多い。特にまだ、綺麗で瑞々しいままの花びらを惜しげもなく散たしてゆく桜の花は、武士道的な潔さや、その淡い控えめな香りはそれだけで理想の日本人像なのだと思う。 自己主張の強い欧米人などが、バラの花を愛するのも、あれが彼らの理想なのかもしれないと思いました。 さらば桜花、また逢おう。(=∇=)ノ~ PR |
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不確かなものを信じること。 いつかどこかで聞いた言葉です。 たぶんテレビのナレーションだったと思いますが、なんとなく心に残っていました。 幸せの基準というのは人それぞれであって、主観的なものだと思います。例えばこの言葉にしても、女性的な幸せの基準だと感じる。 でも、確かこれは生涯を通して技を身につけたような職人さんの生き方を語ったものだったと思う。 まあそれはそれで、この不確かなものと言うのは男にとって自分の可能性であり、将来の夢なのだと思えば納得はいく。 でもやっぱり僕としては、女性的なイメージ。 例えていえば “この職人さんがいつか立派な職人になる事を信じてついてきてくれた奥さんの気持ち” のほうがしっくりと来る。 「幸せ」「信じる」「信頼」そういった言葉は、本来男が使うべき言葉なのだろうか。 そういえば、司馬遼太郎さんの著書「燃えよ剣」の中で、土方歳三が 『どうなる、とは漢(おとこ)の思案ではない。婦女子のいうことだ。おとことは、どうする、ということ以外に思案はないぞ。』 と言っていた。・・う~ん。その通り。シブイ。
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